◆えちぜん鉄道・福井鉄道相互乗り入れの概要
えちぜん鉄道と福井鉄道という異なる私鉄について、その乗換駅である田原町駅で線路接続を行い、福井鉄道が運行している低床車両(LRV)をえちぜん鉄道区間である鷲塚針原駅まで乗り入れるというものである。LRV乗り入れのための低床ホームの整備や各種運行システムの統一、運行ダイヤの見直しを行い、相互乗り入れ区間の多頻度運行化を図り利便性の向上を行っている。
2013年度より工事が行われ、2016年3月に相互乗り入れが開始された。
出典:福井鉄道 えちぜん鉄道 LRT整備計画について
◆福井駅連続立体交差事業の概要
相互乗り入れとは直接関係はないが、 福井駅周辺では、北陸新幹線開業に合わせた鉄道の高架化が行われている。ユニークなのが、えちぜん鉄道の高架事業を進める上で、先に整備する北陸新幹線駅部高架を一旦えち鉄の駅舎として使用するところである。
平成27年9月にえち鉄仮線切り替えが行われ、その3年後の平成30年6月にえち鉄高架切り替えが行われた。
出典:福井県HP
http://www.pref.fukui.jp/doc/tokei/gaiyou2013.html
今回は、北陸新幹線福井駅部高架に仮線切り替えしたときの様子を紹介します。
写真は、主に2016年(H28)3月から4月にかけて撮影したものを掲載している。福井駅西広場の完成およびえち鉄・福鉄相互乗り入れを開始したのが3月27日で、今回掲載する福井駅前の写真はその直前の写真になる。なおえち鉄が北陸新幹線福井駅部高架を仮駅舎にしたのはその半年前の2015年(H27)9月である。
前回のブログと同じ写真であれだが、左に見える構造物が北陸新幹線福井駅部高架になる。福井駅部だけは、JR北陸本線立体交差にあわせて先に建設されたもので、2008年(H20)に完成した。
北陸新幹線高架を仮駅として用いたのは、2015年(H27)から2018年(H30)までなので、約3年弱である。
新幹線線路に私鉄が走っていたのは、1964年(S39)に阪急京都線の一部が東海道新幹線開通前の線路を通っていたケースがあるくらいで、全国2例目だと思う。
仮駅舎とは言え、ホームはしっかりしたものだった。
駅の時刻表示は液晶ディスプレイを用いている。
右側が北陸本線福井駅にあたる。
左側の様子。線路自体はホームよりやや奥まであり、電車の留置場所として用いている。
奥に見えるのがAOSSAという再開発ビルである。2007年(H19)に完成した。
えち鉄の車両だが、愛知環状鉄道の車両を譲渡したものとのこと。
ふくてつの乗換駅である田原町駅の様子。ふくてつおよびえち鉄の共用駅となっている。このときは建物は完成していたが、外構部分は絶賛工事中だった。
左側が越前武生方面、真ん中がえち鉄(鷲塚針原方面)への相互乗り入れ用ホーム、奥がえち鉄専用ホームとなっている。
えち鉄ホーム側。
えち鉄(鷲塚針原方面)への相互乗り入れ用ホームはLRV(低床車両)が乗り入れるため、ホームの位置が低い。
高さで言うと1m位は違うだろうか。
せっかくなので、田原町からふくてつの福井駅前まで移動する。
この車両は名鉄(岐阜市内)を走っていた車両を譲渡したもので、車内はご覧の通り狭い。前回紹介した三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)の車両より狭いかも。
ふくてつは、福井市内(田原町~商工会議所前)は路面電車区間となっている。
途中に見えるのは福井地方裁判所。
電車は市役所前電停(今は福井城址大名町と名称が変わったみたい)で、福井駅前に向かう通称ヒゲ線に入る。
ちなみにこの電停はその後移設されて、現在は跡形もなくなった。ちなみに昔の電停の様子はこんな感じ。
手前(右)が越前武生方面ホームで、奥に見える小さいホームが田原町方面のホーム。
拡大するとこんな感じ。奥のホームを見てもらうとわかるのだが、交差点部分(横断歩道)から出入りする方法と、その奥にある地下階段から出入りする方法の2ヶ所あった。現在は地下からの出入口はなくなった。
走っている車両はドイツ・シュツットガルトで運行されていた路面電車で、「レトラム」と愛称がつけられている。しかしこの風景だけ見ていると昭和30年代くらいの風景に見えなくもない。
そして福井駅前電停に到着。
元々は、福井駅に接続しておらず、福井駅前商店街に電停が設けられていた。
福井駅西広場開通前なので、線路自体はつながっていた。
かつての福井駅前電停の様子はこんな感じ。
奥にはアーケード街があったが、現在では跡形もなくなっている。
※福井駅前のかつての様子についてはこちらのブログを参照。
福井の再開発(駅前周辺の変遷) - ROKUZAEMONの隠遁生活
ということで長くなりましたが、次回は、現在の様子を紹介したいと思います。