この写真は 昨年9月に丸岡にある称念寺を訪れたときのものです。このお寺は新田義貞の墓所として知られる場所です。以前から行きたいと思っていたが初めて訪れました。
昨年秋から急に新田義貞について興味を持つようになり訪れたのだが、実際お寺を訪れてみると、「明智光秀」の幟が多く出されていて、おそらく大河ドラマの影響だと思われる。
新田義貞、明智光秀に共通するのは、いずれも時の権力者を倒したということと、その後自らも追われる立場になったという点かと思う。新田義貞は鎌倉幕府を倒し、明智光秀は織田信長を殺害した。あと、新田義貞も明智光秀もあっけなく戦死した点も共通しているかと思う。
山門の様子。旧北国街道沿いに面する。思った以上に立派で風格を感じる。
また、福井では珍しい「時宗」の寺院であった。元々は「長崎道場」という念仏道場であり、アジール(駆け込み寺)といって武力や権力の及ばない駆け込み寺だったとのこと。
門前に「史跡 新田義貞公墓所」の石碑が建てられている。
境内の周りには萩の花が多く植えられている。
境内の様子。
この位牌は明治時代に建てられたものである(頭部が割れているのは昭和23年の福井地震の際に倒壊したことによる)
こちらが新田義貞の墓所。
墓所の横には新田義貞と称念寺の関係、明智光秀の関係、徳川将軍家との関係について記載されていた。
本殿は昭和40年代に建造されたRC造の建物
明智光秀に関する幟と横断幕が掲げられていた(というか大河ドラマのPR)。
本殿の前に、称念寺住職の執筆した書籍がいろいろ販売されており(1冊300円)、その中にも新田義貞や明智光秀について記載がなされている。
※筆者が訪問した際には誰もいなかったので、3冊買って1,000円支払いました(おつりの100円はお賽銭とさせていただきました)。
この建物が何かわからないなあ。手前の彼岸花が建物の雰囲気を高めている。しかし背景の北陸新幹線高架工事が実に目障りで、雰囲気ぶち壊しである。高木を植栽するなどしてなんとかした方が良いと思う。
本題とははずれるが、称念寺の敷地のすぐ横で北陸新幹線の高架工事が行われていてびっくりした。こんなところ通るのか。のどかな田園風景が一変だなあ。
◆新田義貞について
新田義貞がどのような武将だったかについてはこちらのブログに詳しく記載したので参照のこと。
◆明智光秀と称念寺
明智光秀については、過去のブログでも紹介しているのでそちらも参照のこと。明智光秀が美濃を追われた際に称念寺の門前で寺子屋を開いていたという話が残されている。
また、称念寺での寺子屋時代のエピソードとして、光秀の黒髪伝説(お金に困った光秀を見て妻が黒髪を売って連歌会を催したという夫婦愛の話)が残されている。