※2019.9更新
ブログ復帰第2弾です。
これは、京都駅前にほど近いところにある、東本願寺渉成園の庭園の写真です。
5年以上前の写真なのだが、ブログに投稿しようとして、下書きのままだったので、もったいないのでアップします。
大学時代を含めて京都には結構足を運んでいるはずだけど、まだまだ知らないところがあって、ここも正直知らない場所でした。このころに名人戦の対局場として使われて初めて知りました。地図を見ていてなんだろうとは思っていましたが・・
いわゆる池泉回遊式庭園なのだけど、京都タワーが借景になっていて、結構マッチしているような気がしました。
烏丸通り(東本願寺前)から京都駅方面を望む。京都駅からすぐ近くにある。
涉成園は、東本願寺の飛地境内地(別邸)である。東本願寺十三代宣如上人が徳川家光から土地を寄進され、自らの隠居所とした場所と言われている。周囲に枳殻(からたち)の生け垣を植えたことより、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれている。
最初に目にするのが高石垣。城郭の遺構というわけではないらしい。
訪れたのが3月で、紅梅・白梅が見頃だった。
園内の流れは、かつては高瀬川から引いていたとのことだが、幕末の大火(蛤御門の変)以降寺社境内地の防火対策の一環として、琵琶湖疎水から東本願寺にかけて水道が敷設され、涉成園の水もそこから導水しているそうである。
園内のシンボルというべき傍花閣(ぼうかかく)。
京都タワーを背景に侵雪橋(しんせつきょう)を望む
奥に見える建物が漱枕居(そうちんきょ)
池を渡るための石橋が景色にほどよいリズム感を与えている。
涉成園の中心的建物である閬風亭(ろうふうてい)。建物と池の間に大きな芝庭があり、明るく開放感のある場所となっている。来訪当日は雨模様だったので雰囲気が伝わらず残念。
閬風亭から望む庭の様子。手前の大きな池は印月池といい、月が水面に映る様を愉しんだとのこと。また、江戸時代には庭の奥まで船で移動していたそうである。
なお庭の奥の築山になっている箇所は、安土桃山時代に秀吉が御土居を築いたものを活用したといわれている。
滴翠軒(てきすいけん)。水面にせり出すように濡れ縁が造られているのが特徴的である。
ちょうど10年前(2009年)に、名人戦と竜王戦の対局が涉成園で行われているのだが、おそらく滴翠軒か閬風亭のいずれかで行われていると思われる。
※第67期名人戦第6局(羽生名人-郷田九段戦)2009年6月15.16日
※第22期竜王戦第3局(渡辺竜王-森内九段戦)2009年11月10.11日
回掉廊(かいとうろう)。
京都には屋根の架かった木橋が数多く存在する。
京都だと、まだ行ったことのない場所が多数あり、当面行きたいと思うのが、黒谷真如堂のあたりと、岩倉圓通寺の2か所ですか。
当然ながら、4年間のうちにいろんな場所に行っているので、写真だけでもいろいろ掲載したいと思います。