実に4か月ぶりの投稿である。久しぶりにブログを開こうとしたら、パスワードを忘れてしまって、再設定しなおして入りましたがな。久しぶりにブログを開けたわけだが、1日数十件単位で閲覧があり、結構見られているのだなーと感心したりして。
この4か月いろいろあったわけだが、一言でいうと、非常に忙しかった。ここ数年で一番忙しかったのー。先月中旬から疲れが抜けず、ずっと体調が悪かったので、温泉に湯治というわけではないが、伊香保温泉に行くことにした。
震災前に一度行くプランがあったのだが、被災地の方と顔を合わせるのではないかという不安(避難されている方の前で楽しく観光する罪悪感)みたいなのがあって、行きそびれていたのである。
群馬県自体は3回目、群馬県の温泉へは草津、四万に次いで3か所目となる。前回は志賀高原経由で車で行ったのだが、今回はとにかく疲れていたので電車で行くことにした。
金沢から越後湯沢経由で渋川駅に到着。乗り継ぎ時間があまりなかったため、渋川まで食事にありつけなかった。ようやく駅前の某食堂でラーメンを注文したが、うまくなかったのー。ちなみに伊香保温泉にあるラーメン店もまずかったのー。
伊香保温泉については、正直予備知識なしで来たわけである。もう少し調べたほうがよかったかのー。自分の中で記憶にあるのが、昔読んでいた「めぞん一刻」の一シーンで石段街が出ていたのを覚えていて、しかしその時は伊香保温泉という場所がわからなかった。実際に絵と地名が一致したのが6年前に草津と四万に行ったときなので、はっきり言って30代になるまで知らなかったわけですよ。
写真にある与謝野晶子の文章はよく見ますね。
伊香保温泉は良くも悪くも石段街がすべてといって過言ではないくらいの街である。一歩石段街を外れると、昭和30年代から40年代の古ぼけた街が寂れた感じで残っており、数年前の山代・片山津よりもさらに寂れた感じが漂っていた。特に金曜日に温泉に到着して、金曜日は人も少なかったこともあり、正直こんなひどいところなのかとびっくりしてしまった。
金曜日の昼間の石段街。
この石碑には非常に違和感を持ってしまうのだが・・よくよく調べてみると、400年前のことだそうな。
一歩脇にそれるとこんな感じ。猥雑な感じでいいという人もいるかもしれないが・・
この蔵なんかは改修すれば観光資源になると思うのだが・・
こういう空き家は良し悪しなんだけど、放置してあるというのがいかんのー。
何が言いたいかというと、街並みとして、人を迎え入れる雰囲気になっていない、設えがなっていないように感じる。
これだけいうと悪口言ってるだけになるので、逆に良いところも紹介しないと。
伊香保神社から源泉・露天風呂に向かう道中。ここまで来ると温泉情緒を感じるのー。
京都の貴船に似た雰囲気を感じる。
露天風呂はちょっと狭かったかもしれないが・・
感心したのはこれ。源泉の噴出孔を見せるようにしてあるのはなかなかGOODなアイデアだと思う。
温泉旅館の建物も、正直古くて情緒のある建物が少なくてがっかりしたのだが、この旅館は雰囲気があってよい。
そんな感じで金曜日から土曜日午前まではそれほど評価していなかった(いいところも探そうと努力はしていましたよ)のだが、土曜日の午後になり、かなり印象が変わって見えた。石段街が人で賑わっているのである。
祭りやイベントがあるわけでもないのにこの賑わい。
足湯も御覧の通り。
石段街の一番上にある伊香保神社には参拝客が列をつくっていた。正月でもないのに。
石段街にある射的店には大勢の人が。
3連休の初日だから人がいるのか、東京から近いので人がいるのか、伊香保温泉だから人がいるのかは定かではないが、とにかくびっくりした。こういう賑わっている風景を目の当たりにすると、伊香保温泉の印象が一変するよなー。この日伊香保に来た人は良い印象を持って帰っていくんだろうなあと思ったわけである。
あとで調べたのだが、伊香保温泉は最盛期には260万人もの観光客が訪れていたようで、今でも年間120万人(宿泊)もの人が訪れているようです(H21)。年間120万人といえば、北陸でいうところの山代や和倉、芦原温泉よりも観光客が多いわけで、これ位の人は来て当然なのかもしれない。ちなみに草津温泉は年間260万人だそうで、東の横綱と呼ばれるだけのことはあるのー。
いろんな意味で考えさせられる今回の旅だったが、一つ言い忘れた。温泉の質はとてもよかったのではないでしょうか。あと、旅館のフロントの女性2人がとてもかわいい人で、優しかったのはおじさん的にとってもうれしかった(写真撮るのを忘れたのー)。
伊香保温泉へはこれで最初で最後のような気もするが、群馬には法師温泉などまだまだ良い温泉があるので、もう一度チャレンジしたい気持ちもある。もう一度行けるといいのー。