ROKUZAEMONの隠遁生活

まち歩きしながら感じたことを中心に書き留めています

燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地(通称「新田塚」)と藤島神社

これは昨年の9月から10月にかけて、福井の新田塚に行ったときの写真である。

新田塚とは、鎌倉幕府倒幕の際に活躍し、その後南北朝の合戦では南朝方についた武将新田義貞が藤島の戦いにて戦死したと伝えられる場所(伝戦没地)で、福井では新田塚という地名が付いている。

 世間一般には新田義貞といえば南北朝時代の著名な武将として知られているかもしれないが、個人的には正直なじみの薄い武将で(福井市民的にもそこまでなじみ深い人物ではないような)、今回初めて新田塚を訪れた。

 

◆そもそも「新田義貞」とはどのような武将だったのか

鎌倉幕府の終焉から南北朝の動乱については、日本史に詳しい人でないとなかなか状況を把握するのは難しいと思うが、時系列で簡単に整理すると、

 ・鎌倉幕府は北条家(特に嫡流であった得宗家)が実権を握っていた

 ・元寇襲来以降の幕府の権威の低下および天皇の跡継ぎ問題(両統迭立)

 ※原則として後嵯峨天皇の兄弟の系譜(大覚寺統と持明院統)が交互に天皇に即位するというもの

 ・後醍醐天皇の即位(大覚寺統)

 ・鎌倉幕府で権力争いが起こる

 ・後醍醐天皇による倒幕計画

 ※両統迭立の原則では後醍醐天皇の跡継ぎを次期天皇に据えることができないことから(次期天皇を持明院統から出す)、その後見的存在だった鎌倉幕府を滅ぼすことで跡継ぎ問題を解決(正当化)しようとした

 ・倒幕に一度失敗するもその後各地で反乱が起きる(新田義貞もその中の一人)

 新田義貞を中心とした軍勢が鎌倉幕府を倒す

 ・建武の新政による混乱→足利尊氏による反旗

 後醍醐天皇方の武将として新田義貞が応戦

 ●その後いろいろあり新田義貞は越前に逃れる(金ケ崎の合戦等)

 ●越前で勢力を挽回しつつあったが、途中灯明寺畷(新田塚)にて敵軍に不意打ちに遭いあっけなく戦死を遂げる

 ●新田義貞の亡骸を丸岡称念寺にて埋葬

いろんな本を参考にまとめたが、大筋ではこんなところではないかと思う。 

 

◆燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地(通称新田塚)

福井市民にとっては、「新田塚」といえば新田塚自動車学校だったり新田塚スイミングスクールの方が知られているかもしれないが、新田義貞の伝戦没地を指す。

福井市には、個人の氏名が地名として残っている場所が2ヶ所あるが、新田塚はそのうちの1ヶ所であり、地名から新田義貞が偉大な人物であることが窺える。

※もう一人は幕末の志士橋本左内で、現在でも「左内町」という地名が残っている。

但し、新田「塚」とあるが、ここには塚(墓)はなく、墓所は丸岡の称念寺である。

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場所は芦原街道沿いにある。

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写真中央の木が生い茂っている場所が新田塚にあたる。手前は公園。

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入口は鉄格子の門扉となっていて、もしかしたら夜間は入れないようになっているのかもしれない。

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新田塚は大正13年(1924)年に史蹟として指定された。今から100年も前のことである。ちなみにこの場所は戦死した場所ではなく、「戦死したと伝えられる場所(伝説地)」である。

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敷地の中には祠(神社ではないと思うのだが)が設置されている。賽銭箱あるけど。

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賽銭箱には新田家の家紋(大中黒〔おおなかぐろ〕)が黒地に金で描かれている。これはかっこいい。

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石碑と案内板に新田塚の由来が刻銘されている 。江戸時代にこの場所にて新田義貞の兜と思われるものが出土したことで、福井藩主松平光通によりこの場所を戦没地と定めたことが記載されている。

◆藤島神社

新田義貞を祀る神社で、現在は足羽山山麓にある。明治34年(1901)に現在の足羽山山麓に遷座した。藤島神社も今回初めて訪れた。

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足羽山山麓には、この藤島神社だけでなく、足羽神社(継体天皇を祭神)、毛谷黒龍神社(日本四大明神、パワースポットとして有名)もある。

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山麓より階段を登った先に神社はある。

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本殿の様子。両脇の灯籠に新田家の家紋(一時引)が見られる。あと、灯籠に「泰澄」と記してあるが、これは泰澄大師の事を意味するのか?

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本殿には、新田塚で出土した新田義貞のものとみられる兜が奉納されている。

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本殿の横には「野上神社」という摂社があり、新田義貞の妻を祀っているとのこと。縁結びの神様だそうな。

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神社からは福井市街地を望むことができる。

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冬から春先にかけて天気の良い日には、白山の白い頂を望むことができる。

 

・・まあ、こんな感じで新田義貞ゆかりの場所を回ったが、福井市民でありながらいずれの場所も初めて訪問して、もっと郷土の歴史にふれないといけないな、と思った次第であります。