ROKUZAEMONの隠遁生活

まち歩きしながら感じたことを中心に書き留めています

34歳無職さん

今年は正月ボケがひどくて、1月はぼーっとしたまま過ぎて行ったが、2月に入りさすがに忙しくなり、ブログも更新せずの日々が続いてしまった。今年は昨年みたいに「祝合格!」のようなイベントもなく、つれづれなるままに日々が移ろいゆくのー。

資格は取ったけど、なお楽にならざりきわが暮らし。1年前より金遣いが粗くなったわけではないのだが、ちっとも生活が変わんないのは気のせいか。

北陸のどんよりした冬空の中ではどうしても思考も湿っぽくなるのかもしれない。春になると気分も晴れてくるかのー。

東日本大震災から1年がたった。間接的に被災した阪神淡路大震災の場合は、1月17日には無意識に午前5時46分に目が覚めたものだが、今年なんぞは2時46分にパチンコ屋にいたくらいだからのー。他人事といわれるとそれまでなんだよなー。但し、震災関連の報道を見るにつれて、阪神淡路のときのことは思い出すのー。

阪神淡路大震災のとき、震災の翌日に、宝塚から裏六甲経由で6時間かけて神戸市内に入ったのだが、そのときの光景は今でも忘れられない。但し、言葉は悪いが、「映画を見ているよう」であった。どうしても現実のものと受け入れられなかったのかもしれない。その後、西宮北口から歩いて神戸方面を歩いた時にも思ったのだが、変わり果てた街並みを見て、「悲惨」「むごい」などというより、「すごい」という感覚のほうが勝っていたのは事実である。正直不謹慎な男なんでしょう。その後会社が被災したことにより「無職」となるわけだが、そんな筆者ですら阪神大震災はそんな程度の認識しか持ち合わせていないのである。大阪では揺れこそひどかったが被害は比較的少なかったこと、知人、友人はみな無事だったことや、「生きているだけで幸せ」という気持ちもあったのかもしれない。「被災者の立場に立って寄り添う」というのはかなり大変だと思うなー。

震災から1年がたち、なかなか言葉にはできないものの気になることもいくつかある。がれき処理問題が一番いい例だが、筆者のような自身の経験者ですら「他人事」である。事の善悪はともかく、本音は「関わりたくない」のではないだろうか。放射性物質云々というのは言い訳にしているだけにしか聞こえない。国や為政者の「誠意」「熱意」があれば、やがて受け入れるだろうし、環境上特に問題はなくとも「手続き上」問題があれば反対するだろうし、そんな次元のような気がする。「絆」の言葉が泣くよな。個人的には全然受け入れてもよいし、最近の焼却場はお金をかけた割にごみが少ないという話も聞く。最新の設備でどんどん処理すればよいと思うが、「手続き」を踏まえてやったほうがいいよ、というところだろうか。

もう一つ気になるのは「防災」である。震災から1年たったのと同時に、三陸沖を襲った「チリ地震津波」から2年がたった。チリ地震津波の動画を見ていて思うのは、逃げもせず「見物」している地元の人の姿を見て、その1年後に起こった災害こそ「悲劇」としかいいようがない。地球の歴史の上では、津波などしょっちゅうあるわけだが、人間の寿命80年で換算すると、一生に一度あるかないかの確率だから、「最悪の事態」を想定するのは酷なのだろう。原発もそうだが、人間の危機管理能力って低いよなーと感じる。それだけではない。街を歩いていても、車が交差点を通過しようとしているのに逃げもせず交差点に向かっていく人ばかりである。ほかの動物ではそんなことほとんどないと思う。蚊ですら、たたこうとすると逃げていくのに、人間はいったいどうなっているのだと思うことはある。ある意味ものすごく退化した生き物なのだろう。そう考えると、人間はもっと「ちっぽけな生物」ということを前提にこれから地球上で生きていく心構えがないと、また同じ悲劇を生むんだろうなと思う。これは意識の醸成というよりも、「動物」として本来持っている能力を呼び戻すという発想のほうが正しいのかもしれない。

個人的には、震災後「無職」になった時のことも思い出す。次の会社に入るまで3か月程度無職だったわけだが、まるで焦ることなく、「ちょうどいい休暇」程度の感覚だったのはよく覚えている。大学を卒業する前の春休みをほぼバイト(就職先)に費やしたこともあり、「3か月程度ならいいか」の感覚だった。20代だからそう思ったのかもしれない。今会社を辞めるのはリスクが伴うのー。

そんなことを思っていたら、たまたま面白い本を発見。

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34歳無職さん」っていうそうな。主人公の女性が、元同僚のOちゃんそっくりで、その点も含めて気に入ってしまった。

主人公のつれづれなる日常生活もさることながら、主人公のぼんやりとした、焦点の定まらない視点が何とも言えない。

何とも言えず「虚ろな」気分にさせる本です。悪い意味ではなく、いい意味で。一つ言えるのは「明日は我が身」ということだろうか。